脱会者の声

旧S-tationの主旨に賛同いただいていた56名の脱会者からのメッセージです。
ものすごく大量ですが、一言一句読んでいただきたいと思います。

摂理をやめた理由

・摂理内が非常に窮屈であったことと、自分が本当に大切にしたいものが摂理内ではなかったため。
・組織の秘密主義への疑問や教義のご都合主義的部分に目をつぶ れなくなったから。何より教祖の犯罪行為は絶対許せない事です。 幇助した人々も許せない。
・疑問や意見に対し正面から向き合われないことに対し不信が生じた。そのような団体に対し「命のため」と称して伝道することに罪悪感を感じた。
・言われることに対して矛盾が多く、中にいる人たちの熱狂的な信仰にも引いて、元々不信感があった。 そんな時同じような意見を持っていた友達がこのサイトを見つけ、カルト教団だということがわかったから。
・自分の足りなさから、「~するべき」「~ねばならない」と自分を追い詰めるようになり動けなくなりました。 同時に摂理や人生に対するいろんな疑問が生じ、誰かに相談しても納得や解決ができなくなり教会にいけなくなりました。
・ウソが多かっ た。 信頼をなくした。摂理の真理が真理ではなかったから。
・教祖の謝罪文(管理人注:韓国のサイトで教祖の直筆の犯罪を認める謝罪文掲載がありました)をHP上で見て、隠された部分に疑念を抱くようになったこと。被害者に会って話を聞いたこと。
・99年に韓国行って報道を見たり被害者の人と話して鄭明析の非メシア性を確信したから。
・摂理で真理だと信じていたことが信じられなくなったから。
・教祖のセクハラの件でこの人は嘘だと思った。摂理で自分さえ楽しければ良いのではなく、被害者を増やす手助けはできないから。 (こんなセクハラ+その隠蔽にはついていけない。そういう方向の試練は神様の試練とは考えにくいし)。
・先生のみ言葉から感じた矛盾不快感また、メンバーのどう考えてもおかしいだろう!という非社会的な行動から、 摂理に疑いを抱くようになった。
・30講論の中での論理の矛盾、統一教会原理講論との類似、偽り(サークル活動他)からの伝道についての疑問からです。
・自己矛盾に耐えられなくなった。自分の中の何かを押し殺してまで自分を好きになることに価値を見出せなくなってしまった。 御言葉自体は確かにいい話かもしれないけど、その御言葉を実践することに限界を感じてしまい、ついていけなくなった。 また、人間関係でも尊敬していた人を尊敬できなくなってしまった。
・伝道、伝道と言われ続け、どんどんすべてが義務的になっていくこと が苦しく、束縛感を感じるようになってしまった。
・祝福式にてRに相手を決められようとした事等に不信感があった為。
・母親の死に対して明確な答えが無かった事。毎日の束縛に嫌気がさした事。恋人ができ脱会を勧めてくれたから。
・もともと、摂理と出あったきっかけであるサークル(私はバレーボール)にのみ興味があったのだが、 徐々にバイブルスタディが始まり、怪しさを感じた。挙句の果てに、夏の芸術祭の誘いを受け、疎遠になりました。
・摂理のやり方に疑問を感じたため。伝道がただのノルマ達成になっており相手にとって本当に必要なものを見ていないことに気づいた。 また、伝道のために嘘をつき続けるのが苦痛だった。
・半ば強権的に「真理」を通じさせようとするやり方が気に入らなかった。 またそのようなことに罪の意識がないメンバーも信用できなかった。
・摂理は成長できる場などうか疑問を感じていた頃、ネットの情報に出会った。多くの情報を隠蔽し、都合のいいことしか伝えない システムに、ついていけないと思った。
・もともと御言葉や摂理のやり方に対して強い疑問を感じていましたが、ネットで情報を知ったことをきっかけにいろいろと考えてみた結果、 摂理が間違いであると確信したから。
・摂理の本当の姿を知ったこと。メンバーに嘘をつき続けられていたということを知ったこと。
・情報の閉鎖性、矛盾の多さ、束縛感や、義務感が苦痛だった。神抜きではつながっていない信頼関係が薄っぺらく感じた。 摂理での将来が見えなかった。自分の人生がダメになると思った。
・日本のメンバーは信頼できる人たちばかりだったし、 ずっと一緒にいたいと思っていたけども雑誌記事を読んで韓国でのコト、 先生の秘密にショックを受けた。韓国でのコト、先生の女性関係について日本のメンバー が隠していることを信じたくなかった。 自分の気持ちを整理したくて、愛澤先生にご相談させていただき摂理を去る決心がつきました。
・社会に出て改めて摂理という組織が閉鎖的だと気付きネットなどの情報から、一生を費やす所ではないと確信したため。
・メンバーの言動を見て、やばいと思った。ここにいたら人生を駄目にすると確信した。
・御言葉は基本的には正しいと思うが、一部教理に矛盾を感じた。結婚の制度に納得がいかなかった。 指導者層になっていくほど摂理のやり方がいやになった。情報の操作など。
・教義のあらゆる矛盾やこじつけに納得がいかなかったこと。偽善的で権威主義的な集団だったことに幻滅していたこと。 自分の将来に見通しが立たなかったこと。
・統一協会の御言葉と違いが分からなかっ たからと 、摂理のやり方がカルトだと考えたからです。
・脱会カウンセリングを受けた人と話す機会があり、韓国での実態を知ったから。
・弱者排除の思想に共感できずにやめました。
・ポストの記事(注釈:2002年週刊ポスト)。R (教祖)はやりたい放題なのに、自分らは縛られっぱなしなことがアホらしくなったから。
・結局は自分の点数稼ぎをするだけの場所だったのと、ほんとの善人と、それを管理してる側の距離の隔たりが悲しかった為。 とにかくエゴイズムに溢れた場所でうんざりした。
・摂理が狭い世界であると知ったから。人を救うはずの摂理がたくさんの人を傷つけていることを知ったから。 教義の矛盾を知り、先生や指導者たちの裏側を知ったから。
・言っている内容と行動との間に様々な矛盾点を感じたこと。伝道する時に本来の目的を隠して様々な行事に誘い出す事や、伝道する人を 選別したり監視するのを見て、ここに本当の救いは無いのではと感じたから。
・閉鎖的な摂理組織にビジョンを感じられなくなったため。
・家族の協力により、自分がマインドコ ントロールにかかっていることに気付き、以前は受け入れていた「教えへの疑問」や「組織のあり方」そして「教祖」の行為に対し、おかしいと判断した為。
・摂理での自分の将来に不安を感じた。また、常々感じていた疑問や不満に耐えられなくなった。摂理の恋愛・結婚観を受け入れることができなかった等。
・祈りとはうらはらな、神様不在の人間主義的な組織体質。 ・摂理での活動は主にバレーボールをしておりました。活動内容に足を踏み入れて行く度に、周りの人間関係についていけなくなりました。 また、周りの活動の視野があまりにもせまいとも感じ自分なりに区切りを決めてでました。 ・ヨーロッパ(ドイツ)留学中に、当時そこに住んでいた教祖の部屋を偶々一人で見ることがあり、そこで同棲を推測し、 インターネットでも証言が得られたため。
・①自分にも他人にも嘘をつき続ける世界には居続けられないと思ったから。
②「はかりごと」の名のもと、犯罪者の片棒を担ぎたくなかったから。
・マインド・コントロールの実態を知り、摂理を客観的に見られるようになったから。また、さすがにイエス様は2000年前に隠れて布教もしなかったし、 マインド・コントロールもしなかっただろうと思ったので。最初のきっかけはこのサイトを含む、インターネットの情報。
・人と人ではなく、神様を通してでしか人と関われない狭い関係性に、一人の人間としてさみしさを感じたから。
・教祖の犯罪的行為とそれを隠ぺいしようとする組織上層部の言動に救いを説く者としての正しさがないことを確信し、これ以上この団体に加担することは自らの良心に反するため。
・反摂理のWebサイトの存在を知ったこと。摂理で謳う「愛」が、聖書のそれでは無く、建前上の「愛」に過ぎないと、脱会しようとした時に非常に強く感じたから。 摂理で行われている勧誘方法、教育方法が、マインドコントロールを用いる団体がとるといわれる方法に酷似している、と感じたから。 「30講論」があそこまで統一教会の教えに似ているとは思わなかったから
・いきなり千葉に連れて行かれ、更にいきなり鄭明晰氏に会わされました。バレーボールやフットサルの異様な 光景にショックを受けたのもあるし、 もともと意見の対立がない集団に馴染まなかったというのもあります。
・摂理が本物であろうとなかろうと、教祖のしてきた悪行に正当性を見い出してあげることが不可能になったから。
・ネットを駆使して何をやっている団体かを調査。韓国、米国でのレポートを発見し、裏付けがとれたので接触を絶ちました。
・れていった仲間たちへの冷たい態度と秘密主義的なところがどうしても自分には耐え難かった。あと、新入生を物のように扱うところ。
・御言葉を摂理人が実践してるように思えなかった。メンバー内で摂理より大切な人が出来た。


現役メンバーへのメッセージ

・私たちは祝福式(結婚相手を決める行事)で出会い、結婚礼式(摂理内での結婚式)に参加して結婚しました。説教の矛盾点や報道に 対する対応に疑問を感じたため、2人で調べ、2人で相談して脱退を決意しました。摂理を出てから、自分がどれだけ狭い視野で物事を 見て判断し、知らないうちに高慢になっていたかに気づかされました。現役の皆さんも、教会の人間関係等を理由にうやむやにしないで、 納得できるまで考えてみてください。自分の人生、そして子供たちの人生までかけているのですから。
・あなたが願っているものは何ですか?その願いは摂理にいないと叶えられないですか?きっとほとんどのことは摂理の外にいても 叶えられると思います。摂理という狭い世界から、もっと広い世界に出てきて下さい。悩むこともたくさんあると思うけど、 外の世界っていいものですよ☆
・摂理には確かに感動と霊的体験がありました。でもこれらは摂理外で もたくさん有るのです。教団トップの犯罪に皆が早く 気づいて考えてほしいです 。その為に少しでもお役に立てれば‥
・中にいた時は、「先生の言うことは信用できない」と思う一方で、周りの人間として素敵だと思う人たちの信仰の深さに 「信じられない私のほうがおかしいのかも」と深く悩むこともありました。でも少し冷静に考えてください。 先生が話すことと外の社会状況を考えると矛盾が多すぎませんか?少しでもおかしいと感じたら、それが辞める時です。 一人で考えず、まずはその気持ちを誰かに話してください。自分の大切な時間を、少しでも無駄にしないでください。
・摂理をでた理由が自分自身にあったせいもあり、現実を消化するのに 2年半くらいかかりました。出てしばらくは教祖を疑うこともなく、 摂理にも戻れればと考えていました。しかし、このサイトの勇気ある告白のおかげで摂理をでて心からよかったと納得することができました。 また摂理の思考でなく自ら考えられるようになりました。管理人の方にはほんとに感謝しています。
・真理は自分で行動して経験したことから自分で悟るものです。たくさん旅をして世界を見て、もっと広い世界で自分の運命を見つけてください。 愛を感謝と情熱をもって目の前にあることをこなしていくなら、神様はどこにいてもそばにいてくれるし、天使たちも助けてくれます。 2023年の心配をするより今を一生懸命生きるなら、未来に心を煩わせる必要はないと思います。だって未来は今の延長にあるんですもの。
・疑念を抱くことは罪ではないはず。うやむやにしないで行動してみて下さい。
・何も知らない人を伝道する前に、長所短所知ってる昔の仲間を思い出して。
・私も一生走っていこうと決心していました。今はやめてよかったと心から思えます。 一度立ち止まってみませんか?
・私も一生走っていこうと決心していました。今はやめてよかったと心から思えます。 一度立ち止まってみませんか?少しでも何かお役に立てたらと思っています。
・何かに深く恋をしていることは悪くないし、自己満足できない人生は無意味だが、信念を持ち自省する強さを。
・先生やリーダーに自分の価値基準も全てゆだねて本当にいいんですか?奇跡は摂理にいなくても起きる。 幸せは摂理の外でもある。摂理にしかないことなんてない。もっと自分のことを大切にして、責任持って!
・果たしてイエスキリストは嘘・偽りを持って伝道活動をしろと本当に言うでしょうか?答えはNOだと思います。 例え、それで伝わらなかったとしてもその姿で人をひきつけるという活動をされたことでしょう。実際、イエスキリストは偽りで 伝道活動をしていません。マスコミの過激な報道でも、信じられない部分が多々あると思います。ここにいる方々にしっかり話を聞き、 自分の目で納得できるまで真実を確かめたら良いと思います。大丈夫!皆仲間です。支えてくれますよ!
・脱退して三年たって、初めて教祖の悪行を知りました。人間何かに頼りたくなるのは自然なことだけど、残念ながら摂理は頼るに値する 所ではないと思います。「主はぶどうの木、私は枝」なのであれば、私たちはあのようなぶどうの木につながっている場合ではありません。 どんなにいい枝でも、幹が腐っているなら最終的に実るものも腐っているに違いありませんから。今の摂理の人が枝として腐る前に、 幹を離れることを願っています。
・このHPを拝見させていただいて、出てからも何か縛られた感じがありましたがやっとそれが解けた感じです。感謝しています。 もっと自分自身を大切にしてください。
・急にいなくなった事は悪く思ってます。周りのメンバーはいい人ばかりで出にくかったけど、自分の時間がとれなくていろいろな事に疲れました。 ニュースでの内容を見て100人以上の人が被害にあっているのは信じられない。今いる人ももっと慎重に考えてみたらどうかな?
・一方的な情報を信じないで自分で調べ判断し、早く摂理の実態に気づいて欲し い。脱会しても地獄に落ちる事は無いから安心して 脱会して下さい。悩んでいる方、どんな事でも気軽にメールしてください。
・摂理は思っている以上に閉鎖的です。先生が伝える真理や伝道が救いにつながることもありますが、決して全てに通じるわけではありません。 合わないなと感じたなら、一度外に出てみましょう。脱会は悪でも裏切りでもありません。
・確かに世の中は混沌しています、いまさら否定する気はありません。しかし、確実に良い方向へは少しずつ向かっていると私は思います。 残念ながら摂理というカルト集団は、そういった暫定的進展に満足できず「神様の歴史」という名を借りて「無理矢理」思想・理念の 共同体を作っているとしか思えません。まず自分がどういう団体に入っているのか見つめ直して見て下さい。
・他を見ようともせずに摂理しかないという主張は明らかにおかしい。自らの責任と判断で生きる厳しさと楽しさを奪い取るやり方が 気に入らない。そして今日も被害者を増やし続けていることが許せない。駅員の皆様には東北の地にも摂理が広がりつつあることを知ってほしい 。
・「伝道」「献金」「迫害…」それを毎回毎回連呼し続ける先生・メンバー。なにかおかしいと思いませんか?自分たちが正しい・真理だ というならなぜネットを見るなという必要があるのでしょうか?なぜ逃亡し続ける必要があるのでしょうか?正々堂々とできないのは それなりの理由があるのです。摂理内は確かに楽しいかもしれません。やりがいを感じるかもしれません。しかし、問題はその団体の トップである先生と組織です。自分が所属している団体のことをよく知ってください。摂理内からの情報だけを鵜呑みにするのではなく、 その外側の多角的な方面からも。
・何が正しくてどう思うかは人それぞれだと思います。でも、宗教であることをいつまでも明言せずに、了解を得ずその世界に 引き入れることに疑問を感じます。また、摂理で神を信じることにより、自分で判断するという思考を停止していませんか。
・摂理にいた頃の私は、「摂理を信じて走ることにが真理に通じる」「摂理が走る先にはすべてが用意されている」と信じていました。 しかし愛澤先生にお会いしてから、「摂理(自分)にとって都合のよい事実」しか受け入れていなかったことに心を打たれました。 摂理の中にいると様々な心理的なバイアスがかかり事実を事実として受け止められなくなるのではないでしょうか。人生はあと何十年も あります。摂理以外の生き方を探して腰を落ち着けられるまで十分な時間があります。やり直しの利かない人生などありません。
・何も言わずに出て行ってスイマセン。でも世界は広くて、楽しくて、辛いこともあるけれど そこにもちゃんと神様はいましたよ。 またどこかで会えるといいですね。
・摂理で自分がしている行動を一度見つめ直してみましょう。
・どこで生きようと納得して楽しければいいと思います。でも疑問や矛盾点があったらそのままにせず、解決して走るべきだと思います。 摂理を抜けて摂理内では見えなかったことが多いというのは最近つくづく実感しています。視野を広くもってください。
・摂理は決して特別な団体ではありませんよ。破壊的カルトはどこも「唯一の真理」をうたいます。
・摂理にいた時は全身全霊で神様を愛していました。それを越える体験は自分の人生でもう無いと思っています。 けれども、今は自分の人生を自分で歩んでいます。それが喜びです。
・中にいるときづかない問題点が摂理にはたくさんあります。自分や愛する人たちの人生をもう一度考えてみませんか?
・まずはいろんな人の話を聞いているのっていいと思いますよ。
・やめても地獄に落ちないから安心してやめな。「この人が救世主で私たちは選ばれた人」という考えは、どこのカルトでも同じだ ということを知った方がいい。「救世主はこの人!」という時点でアウト。特に摂理内の霊的な話題は鵜呑みにするな! 惑わされないように、自分が納得いくまで、その「霊的」ということを学んだ方がいい。
・もう幹部までいったらそうそう抜けれないと思うけど、人生は選択の連続です。あそこで会った人達、自分は普通に友達として 再会したら嬉しいと感じると思います。当時一緒に合唱をした皆さん、会いたいですね。
・摂理での生活がどんなに楽しくて、恵みに満ちているか知っています。しかしその影になって見えなくなっている部分を、どうか頑張ってのぞいてみてください。 残してきた兄弟姉妹のことを思ってます。 ・真剣に摂理を走っていたからこそ、摂理に矛盾を感じて脱会を決心するまでには時間もかかり、苦しい思いもたくさんしました。しかし 摂理にいる間に停止していた思考回路を取り戻し、冷静に考えることも大事です。摂理にいる人を裏切りたくないから、などという理由で 一人で思い悩んでいる人、自分を責めずにまずは向き合ってみてください。様々な視点に立つことで答えが見つかってくると思います。
・摂理にいて出来たこともあり、摂理にいて出来なかったこともあり、結局は自分が成長できたかでしかその年月は測れないなと 思っています。私は摂理に7年いたことを後悔してはいません。大事な事を学ばせて貰ったと思っています。その上でこれからもずっと 本物・真実を求めて走り続けると思います。先生に関しては真理のエキスパートだとは思いますが、唯一無二の存在だとは今は思って いません。自然の摂理に沿って天を感じて一生懸命生きている人は他にもいると思っています。もう一つ、お互いの生き方を尊重しながら 付き合っていく形なら摂理内外でも友人でいれると私は思っています。挑戦してみませんか。
・途中下車しても、充実した日々を送っています。摂理で学んだことが今の自分に強い影響を与えていることは否定しません。でも、今の自分の方が自由で楽に生きていると感じています。
・メンバー内で摂理より大切な人が出来ました。今すごく幸せです。摂理にいた時よりも。摂理の中で学べることも多いけれど、摂理の外で学べることの方がもっと多いです。
・学校(=摂理)は「卒業」するもの。学んだ後は自分の周囲くらい責任をもって理想世界にしましょうよ。
・摂理を出て、普通に就職しバレーボール仲間とも出会い、今摂理にいた以上に楽しんで生活してます。摂理の視野のせまさを思うと いまの生活環境は物事を広く捉えることができ、かけがえのない仲間にもめぐり会えました。
・若き時代、摂理を必要とする時期もあるかも知れませんし、そこでの充実感や楽しさは否定しません。しかし、団体が全体として 犯罪行為に加担する構造になっていることを自覚してほしいと思います。その上で、自分の信ずる道を進んでください。
・不完全である人間を神格化したり他宗教を見下す宗教では真の平和は訪れません。本名を偽り、身分をごまかし、日の当たる場所へ堂々と出られなくなる前に 心の奥底に封印してしまった疑問を掘り起こし吟味してみてください 。
・「悪評」だからといって摂理の外にいる人の話を全く遮断してしまうと、それだけ外の人を傷つけることにもなります。嘘もたくさんつかないといけないし、 矛盾したことを言わないといけないこともあります。
・より内部が抱く本来の意図を隠して人を導き、より内部へと取り込んでいく体質と構造が摂理にはあります。多角的な情報と正しい判断のもとに 摂理の本音を確かに知らなくてはなりません。摂理で感じるどんな小さな疑問も建前の回答を鵜呑みにせず向き合って追求してみてください。 本当の摂理の姿が見えてくるでしょう。
・「正義」、「真理」の名のもとに塗り固められた嘘の壁、そしてその嘘を守るために、今日もまたつく嘘。その理由はどうであれ、摂理に出会うまでの人生で、 そんなに嘘をついたことがあったかどうか考えていただきたいです。あなた達の使うその聖書を引いて頂いても構いません。嘘をつくことが良いことか悪いことか、 精神的に(はたまた霊的に?)自分が本当に成長したかどうか、もう一度じっくりと考えてもらいたいと思います。案外単純に見える所に答えは転がっているのかもしれません…
・依存症は何でも良くないですよ。いつのまにか携帯のように手放せなくなってしまうJMS。あと、ビデオや本返して。。。
・本来摂理という組織には何ら同情の余地はなく、限定者のみが知る半犯罪行為について糾弾すべきですが、個人の自由に対してまで 干渉すべきだとは思いません。自分の中で揺らぎが生じ、かつ摂理についてもう少し知る努力をされる方のみ、摂理の真相について耳を傾ければいいと思います。 そこまでは各自の責任分担です。
・社会性が問題ないなら(とご本人が思うなら)、摂理じゃない他の人の話をきくのも、会うのも自由なんじゃないですか?
・神様は摂理のみに働くわけではないということを、離れて実感してます。


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